≪鑑賞日記≫ 活劇語り 「セロ弾きのゴーシュ」と「貧の意地」
2019 / 09 / 02 ( Mon ) 今年の清里は8月に入っても雨の日が多く、涼風祭の公演前には気をもむこともしばしばでしたが、当日になると天気は何とか持ちこたえてくれました。そんな悩ましい8月でしたが、涼風祭最終日の24日(土)は夏の清里らしく爽やかに晴れ渡ったのでした。
2019年涼風祭の最後を飾ったのは、劇団「うろのひびき」による活劇語り。 開演のブザーが鳴り終わると、舞台裏からラッパと鐘・太鼓の楽しそうな音が聞こえます。ラッパ(チャルメラ風?)はアジア・中東の音色、鐘と太鼓は和風の趣き。演奏しながら練り歩き、舞台の下まで降りての大サービス。愉快な舞台を予感させる音楽で始まりました。 ![]() 「うろのひびき」は、伊藤創さん・伊藤純子さんお二人だけの小さな劇団。創さんの創は「天地創造の創」と自己紹介。純子さんの説明では「絆創膏の創」らしい。純子さんの純は、「純粋の純」、ダンナに言わせると「単純の純」。挨拶はいつの間にか宮川大助・花子風の夫婦漫才に。 ![]() さてさて、最初の出し物は宮沢賢治作「セロ弾きのゴーシュ」、演者は純子さん。主人公のゴーシュのほか、楽長、猫、カッコウ、タヌキ、野ネズミの親子、などを純子さんがたった一人で演じます。 ゴーシュは楽団でチェロを担当しているのですが、下手で楽長に叱られてばかり。ギー・ギー・ギー・ギー、・・・、なんとか挽回しようと、家で毎晩必死の形相で練習を続けます。ギー・ギー・ギー・ギー、・・・。 ![]() そんな中、ある晩から入れ代わり立ち代わり、動物が夜な夜な訪ねて来るのです。動物は勝手なお願いをするのですが、ゴーシュが面倒くさいと思いながらも受け止めるうち、セロ弾きとして成長していく・・・という物語り。 純子さんは、動物の声に耳をかたむければ、まがった世の中も、人もきっと正しい道が見えてくるんじゃないか?と思いながら、楽しく愉快に演じていらっしゃるそうです。 下の写真は、チェロの中に入った子ネズミの様子を伺うお母さんネズミの態。このお姿、子ネズミは大丈夫かと不安を募らせるお母さんネズミそのものですね? ![]() 毎夜毎夜の動物との交流が、ゴーシュに経験と度胸を与えました。楽団のコンサートの最後にはゴーシュがアンコールの声に応えて独奏し、聴衆や楽団仲間にやんややんやの喝さいを浴びたのでした。 ![]() ところで、音響係の創さんはいろいろな音を出していらっしゃいました。笛・鈴・太鼓はもちろん、三味線、竹の木琴、グルグル回して鳴らす楽器など、手作り感満載の生効果音でした。 ![]() 休憩をはさんで第2話は、太宰治作「貧の意地」。演者は代わって創さん。 貧乏浪人の原田内助が繰り広げる大晦日の酒席での泣き笑いの数々。 純子さんによれば、うだつの上がらぬ浪人役は創さんのはまり役だそうだ。 ![]() 貧乏を見かねた妻が兄から十両を借りてきた。原田内助はそんな金は使えないとまずは意地を見せるが、景気よく年越しをしようと似たり寄ったりの貧乏仲間を集めて、雪見の宴が始まった。 ![]() 宴も深まったころ、原田が例の小判を取り出して、その重さを実感させようと皆の手を一巡させた。ところが手から手を経るうちに、10枚あった小判が9枚に減ってしまい・・・。 ふんどしいっちょうになって潔白を証明しようとするもの、あらぬ疑いをかけられるのは我慢ならん!と切腹を言い出すもの・・・。 ところが、消えた小判が出てきて、いつのまにか11枚に増え・・・。どたばたどたばた・・・・・、意地と意地がぶつかり合う支離滅裂な必死の談義なのであった。 ![]() 客人が帰った後、女房がおかんを付けるシーンで終わるこの噺。ご覧になった皆さんは誰が一番の意地っ張りだったと思いましたか。意地っ張りもほどほどに。 * *** ***** *** * 今年の涼風祭が無事に終わりました。 出演して頂いた皆さま、ご来場頂いた方々に心よりお礼申し上げます。 音楽堂を出ると既に秋の気配。入り口には手書きの幟(のぼり)が涼しい風に揺られていました。涼風祭は10人の実行委員とボランティアが企画運営しています。アンケートにお寄せいただいたご意見も参考にしながら、今後も試行錯誤を続けて参ります。 ![]() 来年も森の音楽堂で皆さまにお会いできることを楽しみにしております。 (ブログ係りのセイ太郎でした) |
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