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≪鑑賞日記≫ 山口裕之とN響の仲間たち 8月3日
2021 / 08 / 15 ( Sun )


涼風祭二日目は「山口裕之とN響の仲間たち」。クラシック好きのお客様が多数来場なさいました。


長きにわたりN響のコンサートマスターを務めた山口氏と彼が率いる三人は、皆さん華々しい経歴と腕前の持ち主。近年はベートーヴェンの弦楽四重奏曲を各地で演奏しているのだとか。涼風祭でも昨年からベートーヴェン&バルトークというガチ渋めの演目で聴かせて頂いている。【昨年の鑑賞日記はこちらから】

一曲目は、ベートーヴェンの弦楽四重奏曲第6番。
着席した四人がa(ラ)の音を出すのを聴いた瞬間、あぁ今年の夏もここで生の演奏を見聴きできる♪という喜びが湧いてきました。

DSC_四重奏近影

耳に優しい調べが静かに始まった。
旋律の繰り返しが交互に出てくる箇所は、「こうだよね」「そうだね」「うん」「ホントにね」と"親しき仲にも礼儀あり"な雰囲気で会話しているかの様。四人が顔を見合わせて、互いの微かな呼吸を聴き合って、音の動きの変化をキャッチし合う。音色が調和した時の上品な美しさ。

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最終楽章は、物悲しい人生の終わりを想起させるような憂鬱な調べが、途中から一転、テンポの速い舞い踊るような明るい調子に。そしてまたメランコリックな調べに戻り…翻弄される展開となって幕が降りた。「禍福は糾える縄の如し」あれこれあっても人生は続いていくよという大作曲家のメッセージなのかもしれません。

次なる曲は、バルトークの弦楽四重奏曲第2番。
マイクを持った山口氏が控えめな小声で「辛抱してお付き合いください、一生懸命やります」と。
民族音楽的要素を含むバルトーク、私は好き♡今日いちばんの楽しみにしていました。

DSC_山口氏解説

昨年聴いた3番の不思議さに負けず劣らず2番も不安な気持ちにさせられる曲。一楽章、迫りくる不安に魂がひりひりと尖る。モノクロのドキュメンタリー映像を視ているような感覚に。二楽章、性急なテンポに鋭いピチカートが交じり、血がたぎってくる。予測不能な未来を想い起こさせる。静かな上げ弓から始まった三楽章は、全てを俯瞰して諦観するような思いに…。
四つの楽器の音色が太い糸細い糸を織り交ぜた縞模様のように私の心には視えました。曲が書かれたのは第一次世界大戦さなかの1915年から1917年だと後で知り、腑に落ちたのでした。

DSC_四重奏遠景

休憩はさんで後半は、ベートーヴェン弦楽四重奏曲第7番(ラズモフスキー第1番)
バルトークから遡ること百年以上前にラズモフスキー伯爵から依頼されて作曲されたこの曲は、ベートーヴェンの初期の作品とは一線を隔し、規模、構成、楽器の表現などが充実している。
初演当時は理解されず、チェロによる同音連打で始まる第2楽章については(私は好きだけど)、悪い冗談だとまで言われたとか。
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音楽言語の新境地を開拓していったベートーヴェンの類稀な才能を再認識させられる弦楽四重奏曲。希望の光がさしたり、泣きたいような気持ちになったり。終わりそうで終わらない長い思索の旅のようだと思いながら聴きました。

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弦楽四重奏の難しさは、それぞれの個性や感性を持ちつつも、同時に呼吸や身体能力を合わせて曲を奏でていくことでしょう。独奏ならぬ独走は勿論許されず、大編成オーケストラのように巧みに他の音色に紛れることも出来ない。四人構成には一人ひとりの厳然とした役割があって、短くない演奏時間を四人で休みなく紡ぎ続けなければならない。高度なテクニックと耐久力を要する本当にお疲れ様な音楽スタイルだと思うのです。

だからアンコールに割くエネルギーが無くても不思議じゃないです。
(それでもベートーヴェン弦楽四重奏6番 軽快なギャロップのような三楽章を再演してくださいました。)
大曲ばかりの演奏、少し耳が肥えたかも。次なるバルトークも楽しみにしています。

森のスズコ


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